『サービス提供のあり方(接遇)』
−共に暮らし「助け合う」関係を目指す
社会福祉法人 溢愛館施設長 金井牧仁
はじめに
今回のレポートを依頼されたとき、「施設の紹介」と伺い、ならばと内諾したのですが、「サービス提供のあり方(接遇)」という文書に「接遇」ってなんだ!と疑問をもち、辞書やインターネットを調べ基本的な用語の理解に時間がかかってしまいました。
現在の福祉の環境は、日々新たな用語や理論が出現し、その理解につくづく時間がかかり、毎日がその耳に新しい用語や理論の学習と理解に追われてしまうような気になってしまうとも思いました。
しかしながら、本来持っていた福祉の意味を考えたときに、あまりにもその福祉理論というべきもの中に進歩がないのも事実であり、先人たちが福祉の現場で実践してきたことを、いかに現在実践できていなかったのかを感じることができました。ゆえに、施設の接遇の話に至る前に、自らの施設の歴史から展開していきたいと思います。
溢愛館の歴史
溢愛館は、昭和29年11月キリスト教の宣教師であったカナダ人DGウォーレス氏によって設立されました。その後、法人化を昭和43年に理事長を日本人であった金井康次を据え設立しました。施設の名前である「溢愛館」は「愛(あい)の溢(あふ)れる館(やかた)」を意味し、神の愛、人の愛に満ち溢れた場所(家)になるようにとの思いから名づけられたと聞き及んでいます。
初期には、定員12名で開所し、大きな家族としての家(館)であった溢愛館は、毎日の生活を入所者(利用者)である子どもたちと共に過ごし、本当の家族のようであったとも聞き及んでいます。その後、定員が20名に増え、定員を30名に増やすために国からの補助金をいただくために法人化され、老朽化に伴う改築のために、さらに20名の増員を行い、平成7年金井康次の病(やまい)のために、その後を私が継ぎました。
そのような歴史の中、溢愛館はイェス・キリストの愛の精神を受け継いでいくとの根本理念をもとに施設の運営、処遇(接遇)を果たしてきている所存で経営しております。
では、イェス・キリストの愛の精神となんでしょうか?これには諸説あるでしょうが、私は溢愛館の基本理念として、掲げてある「…『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがこれらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたくしにしたのです。』」(新約聖書マタイの福音書25章40節)「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(新約聖書ヨハネの手紙T4章9節) をその精神の最大の表れとして捉えています。それは、私たちが「最も小さい者」すなわち、取るに足りないと考えられていた者、無価値のような者であると考えられていた社会的弱者に対して、「そのひとり子」を「遣わす」ほどに愛すること、つまり神ご自身の分身であるひとり子イェスを十字架にかけるという犠牲を払っても世を愛することであり、私たちが自己の利益の追求ではなく、自己の利益を犠牲にしてでも入所者(利用者)の為に尽くすことが大切なのだと考えています。
では、このような歴史を踏まえて、溢愛館がどのような接遇を目指しているのかを次に述べてみます。溢愛館の接遇
溢愛館接遇において、一番大切にされるべきは、まず入所者(利用者)である子どもに対する態度・姿勢であると考えています。そのため、溢愛館においては子どもに対して処遇(接遇)するものは住み込みをして共に暮らすことを基本としています。子ども(利用者)と同一の環境にいてこそ、初めて「ひと」を「育む」ことができる最適の環境ではないかと考えたからです。また、子ども(利用者)に対しては、指導ではなく援助を基本として接していくこと、自立を促すことが大切だと伝えています。つまり、高い所から低い所の者を引き上げるような「導く」ではなく、共に生きている者として「助け」「助けられる」関係を目指しています。次の段階には、溢愛館の職員をおき、職員の自覚と協働、研鑽を促しています。職員は一人ひとりがその意志をしっかりもった行動(自覚)をするために、ある程度の権限を委譲し、自主独立したグループの経営を促しています。また、協働という言葉を基に、恣意に陥らず常に回りに目を配るよう毎日の申し送りを全出勤者の出席のもと行い、溢愛館としての情報の共有化、さらには現在の社会福祉の状況を伝えています。また、研鑽をするために内部研修として外部より講師を招きケースの検討会を行い、自らの援助のあり方に注意を促しています。
最後に、施設の幹部職員や施設長が、溢愛館全体の動きを静かな目により見渡し、自らの自己反省を促しつつ、施設外の地域とのかかわりを持っています。幹部の職員には、聖書の中の一説にある「だから、この子どものように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い人です。」(新約聖書マタイの福音書18章4節)、「…『だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい』」(新約聖書マルコの福音書9章35節)、「…一番小さい者(身分のひくい者)が一番偉いのです」(新約聖書ルカの福音書9章48節)の聖句を基に、驕らず仕える気持ちで自らを律するよう促しています。そしてその逆三角の組織を囲むように、神の愛が満たされていると感じています。
最後に
接遇の基本は、先人たちの「行い」つまり実践であり、その歴史を学びまた反省し、そして新たな実行力と勇気をもって挑戦していく、永続的な愛の実践であると思います
過去に囚(とら)われず、過去に留(とど)まらず、しかし過去を教師として、間違いを恐れず、挑戦していける環境(施設)を提供し、その根底にある創立者の意思を想い、自ら(現経営者)の意志を高く掲げ、慌(あわ)てず焦(あせ)らず、続けていく持続力を持ち、つまり一過性の理論にとらわれることなく、理解でき納得する理論を、ゆっくりと継続して実践していくことこそが、その社会(地域)に根ざす(認められる)為に必要であり、それを実行していける職員集団を利用者のために育てていくことが、施設経営者の接遇である考えています。